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デザインのつぶやき

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2006年 10月 10日

21世紀のID展を見て思うこと

六本木のAXISギャラリーにて「21世紀のID展」を見てきた

自分がお世話になっている学校での生徒作品との比較はしない
比較される部分も少ないと言うことが、理由の大きな部分だが、
だからといってそれをふまえた、どの作品がどうという話もしない

では、なんの話を取り上げたいかと言えば、作品の傾向である
「どうユーザーに関わらせる可能性を残しているか?」という方向性と、
「スイッチング表示デバイスになっているか?」という大きな分け方になっているような気がする。

その話を同僚にしたら「マクルーハンの”メディア論”に、”ホットなメディア”と”クールなメディア”というような、似たようなことが書かれていましたよ」と教えてくれた。
なかなか難しい本らしく、僕自身手は出せていないが、どうやらクサそうな本である

ちょっと脱線したが、スイッチングデバイスというのは、マクロメディアFlashのような「表示」のおもしろさ&トリガーになるスイッチ&「インタラクション(スイッチオンに対する結果のアクションという意味で....)」=「ある装置」というようにここでは言うことにする。例えば携帯電話は機能のスイッチの固まりであり、ここで言う「ある装置」の代表だろう。
そして、「ユーザーに関わらせる可能性」というのは、ブロックのレゴのようにある程度はシステムが提供するが、それを活用するのはユーザのようなモノを指す。電子装置ではないが、アイスクリームのトッピングもそのようにも思える。
電子装置では電子手帳のようなモノが近いと思うが、まだまだそれでは未熟に思う。あれはただの置き換え品であり、それがどう活用できるかと言えば、ユーザーに好き勝手には活用できるレベルには至ってないように思う。活用しているとすればスケジュールというパーツ化されたデータが、デスクトップのパソコンのソフトだけでなく、インターネットを使って、ブラウザーが搭載されている端末でみることができることを言いたい。この場合は単純に「リソース」の活用方法を指しているに過ぎなくて、利用しているとはなんとなく言い難い(この曖昧さ加減がデザイナーらしい...苦笑)

昔から「機械に使われるな」とか「ロボットになるな」とか言われてしまうのは、こういった機械側のゆとりの無さからくるコメントなのではないかと思う。

なんかまとまりのない章なので、いつかまた続けたい

# by Guild_HALL | 2006-10-10 02:51 | デザイン
2006年 10月 04日

引き際

いつまでも「俺が」「おれが」と言っている、言っていられる業界ではない
いや、このデザイン業界に限ったことではあるまい

というか、この引き際を悟ってこそ、次の手が打てるんじゃないかと思う
それはその業界に固執したところにはなくて、違った展開、既存の業界ではないところに自分の場所があると思う

# by Guild_HALL | 2006-10-04 22:43 | 処世術?
2006年 09月 30日

可能性の可能性

僕は僕の受け持つ授業の中で、生徒の発想する可能性を否定しない。
常識的に考えて不可能なことは当然否定する
(例えば、現在の物理学では不可能なこと...水が300度になる装置とか...は否定しますが)

なぜ否定をしないかというと、「正しいと言う考え方」はどこにもないと思うからだ。
僕が好きな考え方、僕が目指したい考え方はある
同様に世間で一般に好まれる考え方、おおかたの世間一般の人が指示するだろう考え方もあるかもしれない
だからといってそれらと違う考え方は、間違いだとは誰にも言い切れないだろう
(天動説や地動説が物理的に証明できる考え方の種類ではないとしても....)

では僕が、諸手を挙げて賛成するかというとそういうわけではない
発想には生な部分が多く、もっとましな考え方があるからだ
つまり意味を読み取れば、より効率も良く、さらに達成感もある考え方があるからだ。
その考え方は、僕の視点であって、且つ他の人にとっては別の考え方もあるはずだと思う
(だからこそ、そこにディベートする余地もあるのだが、なかなかディベートに至らない。なぜなら、意味を解釈してのディベートではないからだ。お互いのイメージとの差異の意見交換にしか過ぎないのだ)

ちょっとつぶやき方が飛んでしまったが、まぁいいか.......

# by Guild_HALL | 2006-09-30 23:18 | デザイン
2006年 09月 29日

大航海時代......とデザイン

僕はごく普通の義務教育を受け、普通科の高校を卒業した。
当然世界史という物も習った。
いまだにうまく理解できていないのが、世界史の中でのスペインとポルトガルの「過去の国力と現在の国力」
単純に植民地を持っていたからという問題もあるし、植民地を作る前は戦争に打ち勝っていって領土を増やしたという背景もあろう。
そういう国力に支えられながらにして、造船技術、航海術も発達したことだろう

さて、ここからが疑問である。
スペインとポルトガル、もしくはイギリスも含むかもしれないし、同類の国もあるかもしれない。
貿易を栄えさせた事は歴史で習ったわけだが、母国で何を生産して貿易を栄えさせたかは記憶にない。記憶にあるのは植民地から安く仕入れ、他国へ高く売ったり、自国に文化を持ち帰ったことだ。

今の日本とかぶって考えてしまうのは僕だけだろうか?
海外で物を生産し、別の国へ売り、また安く物を母国日本へ輸入し売る。
今日本で高いのは、土地と人件費だ。
商業デザイナーは、売るための販促物関連をデザインするからあぶれることはないと思うが、プロダクトデザイナーはいつまでも彫刻を作っているわけにはいかない。

話は飛ぶが、来年から団塊世代が退職し始める。
どういう額のお金を手にするかわからないけれど、大きな額だろう。
それを支払う会社も大変だ
いや、それよりもそんな大きなお金を手にしたことのない人が増えていくという、かつて武士がもらった退職金のようなことがやってくる
たいていの人は車を買い、家を買い、旅行に出かける。
それら全てをやり尽くす人は少数だろうが、手近なところレジャーブームになるだろう。


やっぱり大航海時代はやってくる。
そこで僕らは何をデザインすべきか、あと数ヶ月以内に答えを出して行動するしかないね。

# by Guild_HALL | 2006-09-29 15:21 | デザイン
2006年 09月 28日

ユーザーモデルって本当にあるのか?

すこぶる調子がいいので、どんどん頭にあることを出してみる

自分の研究(研究については、いつかつぶやこう)が進むにつれ、ふと疑問になってきた
認知科学やユーザビリティを論じる時には必ずと言っていいほど出てくる
「ユーザモデル」...............

人がある行為をするとき、頭の中にある操作手順があって、それを使ってユーザはその行為を実行するという考え方だ。
もしくはあるターゲットとなるユーザの行動パターンをモデルと呼ぶ。
システムを設計する上で非常に便利な考え方だ。

しかし、本当にそんな手順となるモデルがあるのだろうか?
持論では最近そんな物はなくて、都度自分の記憶にある断片を使って、都度操作方法を構築してを行っているのではないかと考えている。
その記憶の断片は、言葉や体の位置関係や色や形、つまり人が見聞きして、注意が払われた物全て、無意識の記憶も含めて使われていると考えている
特に見たり聞いたり、体験のない知らない物は、使えないのだ
類推すらできない

やはり人は忘れる
そのあるはずの「ユーザモデル」すらも忘れる
特に頭で覚えた手順、行為は忘れやすい。


結局、ユーザー観察において見受けられた実験結果である「行為」が、ユーザーモデルと言うのが正しいのではないだろうか?

参考文献
仕事の中の学習:上野直樹 著
状況に埋め込まれた学習:サッチマン
コンピュータと認知を理解する:ウィノグラード
拡張による学習:エンゲストローム
…など。

# by Guild_HALL | 2006-09-28 06:51 | デザインの姿勢