デザインのつぶやき

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2005年 09月 27日

質問にはちゃんと答えよう

なぜかデザイナーに多い
質問にはちゃんと答える!!。

確かに自分もそういう癖はあった。
なくなった。
人の話を聞けるようになった。

タイトルの意図は、どういう事かというと、
質問者「それはなぜアルファベットを使っているんですか?」
回答者「コミュニケーションは対話から始まると考えていて、私のテーマはコミュニケーションを大事にしようと考えて…」
おいおい。
コミュニケーションになってないよ。

そういうデザイナーは多い。
なぜだろう?

by Guild_HALL | 2005-09-27 20:15 | デザイン
2005年 09月 21日

ほめられたい。認められたい

どうもその感情が満たされない人が多いと感じる。
ちなみに私もその一人だった。「だった」というのは、今はさほどそう思わないだけ。

その感情が満たされないと、本人が全く気づかないほど、依存体質になる。
悪くなるとこんなところから鬱になる。
まぁ鬱は、他にも原因はあるから必ずしもイコールではないと思うけどね。
依存体質になる、と恋に恋している状態に気づかないまま
 「こんなに〇〇してるのに」にはじまり
 「どうしてわかってくれないの」に終わる。
悪循環…。

もしも相手に尽くすことが無償の愛だというなら
「どうして…」で始まるような愚痴をいうな。
あなたのしていることは大きなお世話なのだ。
相手は真摯に受け止めずに甘えているだけなのだ。
じゃあどうすればいいのか?
コツは自分とちゃんと向き合うことだと思う。
自分で自分の感情に向き合う。
悲しいとき、寂しいとき、そうなっている自分を見つけてあげなくちゃ。
見つけられるのは、あなたしかいないから。

by Guild_HALL | 2005-09-21 07:55 | デザインの姿勢
2005年 09月 19日

占いを信じるか?

「良い占い結果しか信じない」という人もいる。
「どうせあたらないし」という人もいる。

僕が年のせいか、あまり忠告してくれる人は少ない。
だからそんなモノを頼りに生きていたりする。
つまり「悪い占い」が出たら、「自分で気をつける」
「良い占い」が出たら「感謝する」

「良い占いしか信じない」というのを、ポジティブな人間だと思っている人は、そりゃぁ傲慢だよ。
だって「良い占いは信じる」けど「悪い占いは信じない」なんて、「自分のご都合主義で生きています」と言っているようなモノだ。
人との関わり合いの中で生きていて、なんかの都合でたまたま悪い占いを目にすることができたんだから、それは自分の気持ちを引き締めるチャンス何じゃないか?

by Guild_HALL | 2005-09-19 01:41 | 処世術?
2005年 09月 14日

僕は楽天家か?

「君はいいよね。そんなに気楽な事ばかりで。気楽に構えていられて。
 私の場合はそう簡単にはいかないよ」
そういう事を言う人も友人にいる。

そりゃぁ生まれついた環境や体の特徴もあるし、ハンデもあるだろう。
それはスタートであって、終わりではない。
まさに今、中間。真っ最中。
僕には苦労がないかと言えば、苦労はする。
ただ苦労は苦労として受け止め、苦労している最中なのだ。
そう簡単にはいかない事ばかりだ。

そう簡単にはいかないから、人から頼まれて仕事になり、
そう簡単にはいかないから工夫し、工夫するからこそ成長する。
成長するからこそ、無事に死ねる。
成長しないまま死んだら、「もう一度やってこい」と言われるに決まっているのだ。
こんな苦労は二度としたくないからこそ、真摯に受け止め工夫し、
「自分なり」の回答を見つけ提案し、
ひとから「まぁいいんじゃない」と言われたり、
「いまいちだね」と言われたり、
散々な言われ様をしたりするのだ。

苦労しながらでもやっていけるのは「可能性」の世界に生きているからだ。
僕がやった事は一つの回答にすぎない。
まだまだ僕の気づかない可能性はある。
可能性があるなら、まだまだやりようはあるってことだ。

じゃぁやってみればいいんだ。
やってみようよ。
まずは手前のこの問題から…。

by guild_hall | 2005-09-14 08:30 | 処世術?
2005年 09月 06日

電車男

世の中では流行っているらしい。
仲間の力を借りながら、本人が変貌していくのだそうな。
それで目的の恋愛もめでたしらしい

自分自身が恋愛の立ち直りから、現在に至っているのでフ〜ンと言う感じがしないでもない。

学生時からホンのついこの間まで、地味でユニクロの中年親父風であったのだが、同じユニクロ着ててもこうも違うもんだという変わり様だと思う。
大体にして、目のチカラが違うと思うのだ。
論より証拠で、無精髭をはやしても以前は「貧乏神」風だったのだが、現在は「ワイルド」な男臭さがにおう気がする。

「目はクチほどに物をいい」とはホントだと思う。

モテたいとか言うより、「もっといい人生を送りたい」という「幸せコンシャス」さが表に出ているだけだと思うのだが、周りは勝手にそう解釈してくれているようだ。
そう「幸せコンシャス」なだけなのだ
ほんと、「身の回りのひとみんなに幸せになってほしい」と願う。
少しでもそのお手伝いがしたい。
そう思いながら毎日を迎え、今日できる事をしている。

by guild_hall | 2005-09-06 00:16 | 処世術?
2005年 09月 04日

平等と公平

世間ではほぼ同じような意味で使っていると思う。
占いの某先生も男女平等という言葉を引用している。
でも文脈から言えば、公平という方が本当は意味としては正しいと思う。

ユニバーサルデザインという言葉も良く耳にする。
これも本当は、「機会平等、機能公平」という捉え方の方がいいかもしれない。

わかりやすいたとえでいえば、「狐と鶴のごちそう」というイソップ童話があるだろう
「いじわる」なきつねは、鶴を家に呼んでごちそうしました。
平たいお皿に盛られたごちそうをおいしそうに食べる狐と、くちばしが細くて長いために食べられない鶴。
数日後、鶴は狐を家に呼んで「しかえし」をする
細長い壷に入ったごちそうをおいしそうに食べる鶴と、壷の底のごちそうを食べられない狐。
平等であれば「しかえし」でも「いじわる」でもない。
「公平」であろうとするから、「いじわる」であり、「しかえし」になる。
先ほどの男女平等でいえば、男も女もそれぞれが尊い
狐は鶴になれず、鶴は狐になれない。
男は男で、女は女だ。
お互いが尊重し合って生きていく事に、価値があり、すばらしさがある。

デザインに話を戻す。
機会は平等になくてはいけない。
さらに体の大きさ、体の能力など、人それぞれに応じた機能の対応ができなくてはいけない。
それを、「誰でも使える」という平坦さ=平等にするのは、よくわからない、わかりにくい
そういった目標のユニバーサルデザインではいけないと思う。
いろいろな人に配慮されたデザインはあったほうがいい。
「誰でも使える」という難しいことを言ってしまうと、誰からも見向きもされない
なるだけ多くの人に対しての配慮されたデザインがなされた方がいい。

そう思いませんか?

by guild_HALL | 2005-09-04 21:33 | デザイン
2005年 09月 03日

デザインと恋愛の類似点

昨年のこの「つぶやき」から呼んでくれている方々は、今更なお話だと思う。
僕はいくつかのこれらの混同した話をしてきた。
改めてここで言いたい

本質的には同じ事だと。
正確にいうと、恋人同士とクライアントとデザイナーの関係が本質的には同じだろう。

・思いを表現する
・どちらか一方の思いが強いと敬遠される
・提案活動
・提案を受け入れる側は、わがまま
こんなところか?

違う点もある。
・基本的にデザイナ−はクライアントを複数持つ(これも基本的に恋愛でこんな事やったら大変だ)
・恋人は、提案する側とされる側が適宜入れ替わる

どちらにしても、「やってやっている」根性ではだめで、
誠意を持って提案活動してこそ、長く続く。

by Guild_HALL | 2005-09-03 09:51 | デザイン