2014年 06月 10日
たまたま見つけたB5サイズの映画のチラシ。 初公開(1970年)してからのリバイバル上映(1974年)されたときのモノと近年デジタルリマスターされた公開のモノ(2011年)。 どちらが良いというわけではなく、古典映画の紹介なのか(多くの人が内容を知っているだろうと言う想定)と以前話題だった映画を見損なった人のための紹介なのかの表現の違いだろう。 印刷技術も写真の切り抜き技術も全く違うので、どちらがきれい、デザイン的に優れていると論じることはできない。 また1974年モノの裏面は、フォーマットとして「こんな感じ」になってしまっているのは否めない。 好みも分かれると思うので、資料としてUp。 #
by guild_hall
| 2014-06-10 16:20
| デザイン
2014年 01月 30日
なんか最近、「頭いい人」「頭悪い人」という言葉を聞く機会が多い 組織を持った人と出会う機会が多いせいかもしれない デザイナーって大体、会社にいても一匹狼だから、あまりその単語に出会う機会は少ないかもしれない。 もし出会ったとしても使われ方の意味は「要領が悪い」というスキルに対しての、「効果度合い」について言われる方が多いように思う たとえば、「なんであいつは、あのやり方に固執するんだろう?頭悪いよな?」 とか 「あの人のデザインってスマートに短時間で仕上げるよね?」 という風にだ。 僕が最近よく聞く意味の使われ方では 「生きる」「生きていく」と言う事・行動への「センス」「問題意識」があるかないかを区別する場合が多いように思う。 つまり言語化されていない自分の内に秘めた「自分ルール」に対して『行動の指針』があるかどうか?だ。 ない場合は常に「不平」「不満」が「文句」として口から出てくる。 そして行動は起こさない もし自分の内に『行動の指針』があれば「やる」「やってみる」「行動の最中だ」「結論はまだ先」「他にもやり方があるかも」と言った言葉が出てくると思う こういう言葉を多く使う人ほど「頭がいい人」と言われている気がする #
by guild_hall
| 2014-01-30 17:05
| デザインの姿勢
2013年 11月 25日
はたと気づいた。 グラフィックデザイナーとプロダクトデザイナーの違い。 多くの場合(絶対ではなく、多くの場合)、 ・グラフィックデザイナーは、その人ひとりで発案、表現された物がクライアントに届く。 ・プロダクトデザイナー(建築デザイナーもそうだけど)、その人が発案しても多くの人が関わって修正やら追加やら、熟成されて、市場に並んで、買われた時初めてクライアント(消費者・ユーザー)に届く。 グラフィックデザイナー(の多く)は、奇抜なアイデア、特異なアイデア、が出せれば出せるほど「個性」として扱われやすい世界だなぁと思う。全体よりも「個」が大事に思う。 プロダクトデザイナー(の多く)は、形態の美しさももちろんのこと、販売、生産に関わる様々な要素とのすりあわせが必要で、個よりもプロジェクト「全体」への影響を考えながら行動することが多いように思う。 「だから?」といってなんてことはない、ただのつぶやきでした。 #
by guild_hall
| 2013-11-25 11:42
| デザイン
2013年 10月 21日
ウィキペディアによると Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4 段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する。事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ。 とある。 うまくいったり、うまくいかなかったりする様だ(まぁ当然か?) 僕が思うに、今まで経験したことない様なことにチャレンジする場合は、うまくいきそうな気がする仕組み。 すでに内容は違っても、営業をしたり、製品開発するときにはあまり効果的ではない様な気がする。 なぜなら、プランを立てるとき既に、いつもの思考でプランするから。 効率を上げたい人は効率が上がる様に、費用をかけたくない人は費用をかけない様に、慎重な人はチェックを多くする様にプランするだろう。 それがうまくいく思考ならば良いけれど、そうではない場合やはりうまくいかない。 何が言いたいかというと、同じ枠組みでプランをいくら変え、行動し、チェックしたところでそれほど効果は望めないんじゃないか?と思う じゃぁどうすればいいのさ?と問われれば、プランを立てる人を変える、行動する人を変えるくらいがいいかもしれない。課長がプラン立てていたならスタッフがプランを立てて課長が行動する。かなりハラハラすることになると思うけれど、今までとは違う結果が出るのではないかな? #
by guild_hall
| 2013-10-21 13:23
| デザインの仕組み
2013年 09月 19日
久々の投稿。 「思い込みを外す--見て感じている物は全て思い込みである」 今日のテーマは真実ではなく、そういう視点もあるという一石だと思って欲しい。 (いつもそうなんだけどね) さてそう思ったきっかけは、Facebookの友人。 以前は、メッセージ送ってしばらくすると帰ってくる。 一週間とか1ヶ月とか、そんなに頻繁でない人は時間がかかるというのも致し方ない。 ずいぶん長いこと返事がないなと思って、連絡を取ってみたら他界していた。 その友人はBotを使っていたわけではないから、つぶやきめいたことが投稿されたわけではない。単純に亡くなっていて投稿していなかっただけ。 でも友人としての登録は当然ながら残っているから「生きている」と思ってしまう。 このデジタルの世界は触れることで何かを確認する事はできない デザインという物も思い込みの塊でできていて、あたかも予定された調和、マーケティング調査によってデータ化されたものであっても、そのデザインされた物は受け入れられるとは限らない。 このことは理屈では「そりゃあそうだろ」と思っていても、自分がデザインした物が拒絶された感覚があったときは、へこむ。 人の責任にしたくなる。 状況は変わる。 「あのとき、こう決めたじゃないか」と言ってもそれは「あのときここにドジョウがいたじゃないか」と言ってるのと同じである じゃぁどうしようか? この一つの質問を時間かけずに持てることが、良い世界を作る第一歩に思う。 postscript; フェイスブックの友人は、今でも友人として登録してます。 理由は簡単。僕が友人だと思っていて、生死に関わらず関われると思っているから。 思いで話したり、こうしてブログに書いてみたりしてその友人と関わっているのです。 #
by guild_hall
| 2013-09-19 14:39
| デザイン
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