デザインのつぶやき

guildhall.exblog.jp
ブログトップ

<   2012年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧


2012年 08月 29日

アップルとサムスンを見て、今後何をデザインするのか?

アップルが訴訟で勝った意味
を読んでみて、そうだよね〜と思った。

今、日本のメーカーの多くは、「どんな効果があるか?」証拠を求める
そりゃぁ売れるか?儲かるか?生き残れるか?開発に託すわけだから、いろいろなもっともらしい理由を求めてくる。

アップル社のiPhoneなどのデバイスにおいて、今回認められた特許の優位性、差別性には、もっともらしい理由はおそらく提示できなかったはずだ。開発当時は。。。。

つまり、提示できないものは開発も含めて、見送られてしまう。
かつての先進的イメージが無くなった品川のS社は、まさにそれなのではないか?
見たわけじゃないけど、体験的にはそんな感じがする

つまり、サムスン社も今後も「これ」をないがしろにすると、S社同様の運命が待っている。
いやいや、日本の電機メーカーと同様なのだ。

じゃぁ「これ」とは、いったいなんだ?
根拠が不明でも良いのか?誰が責任をとるんだ?と言う意見もあるだろう。
一つづつ答えると「これ」というものは、「そこにあるもの」そのものだと言える。
たとえば電話ならば「電話」なのだ。ゲームができたり、ネットワークを利用して、データ通信できたり、と言う機能はあっても良いが、それがすごく重要かというとそうでもあるしそうでもないのだ。
簡単に言えば「だってそうなってるんだも〜ん」ということが、受け入れられれば売れるし、受け入れられなければ売れない。
機能を中心に「そうあらねばならない」的な合目的な開発は時代に合わないというのが言いたいこと。

「こっちのみ〜ずはあーまいぞ〜」と言われて、
  糖度はどれくらいか?
  砂糖なのかアステルパームなのか?
とかそういう理由では、今後ものは売れないだろう。
「あまいんだな〜」と購買者が感じて、「これだね」と言わせることができるものが売れるものなんだ
[PR]

by GUILD_HALL | 2012-08-29 21:59 | 次世代デザイナーの要件
2012年 08月 24日

作文を書いてみて。何がデザインされているか?

作文って小学校の時に書いた作文のこと。
日記でもいい。

作文というのは、出来事 + 感情・感想・心の状態など、感じたことが書かれている。
厳密に区別したいので、起こった環境・状況を出来事と言うことにする。
ここでは出来事を「事実」「真実」として扱わない。理由は後述。

たとえば学校で遠足のに行ったときの作文を書いたとき、同じ出来事を体験しながら内容は異なる。
さらに厳密に言うならば、時間と場所を共有しながらも体験は違っているかのように描写される。
時間と場所は、否定することのできない出来事だ。
なぜ体験は異なっているかのように参加している人々の中に存在するのか?

それは体験した人の世界観ともいえる「視点」の違いだろうと考えられる。
視点はその人の関心により様々に切り取られていく。
切り取られた情景に、感情が加えられる。

ということは、その人にとっては真実であり、事実であるが、出来事そのものが再生されているわけではないから、他者からすればかなりあやふやな出来事になっているはずだ。
まして参加者同士がその出来事に関して、昔話として話すときは、さらに話者それぞれ記憶に残っている感情の体験の断片をつなげながら話すものだから、かなり起こったこととはかけ離れた出来事になっている可能性がある。

そう、歴史の多くは、その感情の一人歩きがまるで真実であるかのように口頭伝承され、例え映画/映像であっても撮影者、編集者の視点・世界観で創られてしまう。

真実や事実というものは、「真実だ」「事実だ」といった人の中に存在していて、それを他の人に強要しない方が良いんじゃないかと思う。

人生とはそんな風に、自分の世界観があたかも真実であるかのようにデザインしているものだ。
[PR]

by guild_hall | 2012-08-24 23:12 | デザインの姿勢