デザインのつぶやき

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2010年 01月 22日

正しくはないが、間違っていない

ちょっと頭休みの話
「正しくはないが、間違っていない」

あるお寺で「くらやみごはん」というワークショップが月1で開催されている
真っ暗な中で精進料理を食すという趣向
もちろん真っ暗だから、「熱いのでお気を付けて....」などといわれるとやけどを気にして、怖さもある
そうしながら食べると、なにやらおいしい
鶏肉?いや、こんにゃく?
などなど参加者からもいろいろなコメントが出る
いずれにせよ「ああ〜そうだよね〜やっぱり○○だよね〜」
と、同意が得られる。

最後に「実は、△△でした。」
如何に視覚に頼っていたかという話もあるのだが、あえて違うことを言ってみると
「正しくはないが、間違っていない」ということだ
真っ暗の中で食べた何かわからないものを、自分はこんにゃくやら、なにやら、
「こうだ」という経験をし、しばらくは「こうだ」というモノが頭を占めていた
この経験は嘘ではないし、全くの真実であるかのようにも思えるほどの体験である。
この体験は間違いで偽りだったのかというと、本当に嘘ではなくそうだと思ったのである。

つまり、「正しくはないが、間違っていない」
そう思うと、日常「こうだ」と思っている全てのモノも、結局はこんな「正しくはないが、間違っていない」だけかもしれないと思う
だとしたら、いくらでも考え方を変えることは可能であると思う今日この頃である。
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by guild_hall | 2010-01-22 02:29 | 閑話休題
2010年 01月 18日

聴く力 -次世代デザイナーの要件3-

大抵、人は人の話を聞いていると思っている
コーチングの技術でも「傾聴」という

実際の所、ほとんど人の話を聞いていない。
というか聴き方が、次世代デザイナーのためにはできていない。
具体的にどのように聴いているか、書き出してみよう

例えば、「愛している」と聴く場合
1.まず音を「 あいしている」と聞く
2.すると脳みそが、「あいしている」の意味を探し出して、意味をとらえる
3.そして自分が「愛されていること」がわかる
こんな感じ。

次世代デザイナーとしては、これを発展したい
1.「あいしている」という音を聞く
2.その人はどんな人で、なぜこのような表現をしたのか、創作して聞く
3.その創作によっては、憎しみを込めてのことなのか、親愛を込めてのことなのか、どちらも選択可能にする

よって、「ふざけるな!!」とか「これをこうしてほしい」と言われたとき、言われたままにならず、いつでもクリエイティブな応えができるというものだ
これは言われたことを先読みして、行動せよと言うことでは決してない
発された音から発言者の意図を再度自分の頭で創作して、コミュニケーションをとると言うことだ
これは訓練を要するが、これに慣れるとコミュニケーションは非常に容易だ
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by guild_hall | 2010-01-18 12:50 | 次世代デザイナーの要件
2010年 01月 14日

自己表現スキル

デザインこそ自己表現だと言う視点ではない
たぶんその視点は今まで何人もの人に語り尽くされてきたと思う
『今まで見たことのない「すげー」とか「きれい!」とか言うものを自分は作り出すことができる』
というのが大抵、学校で教えてくれるような、デザイナーの表現能力スキルで、そのためにコンピュータでフラッシュが使えるようになったり、グラフィックソフトが使えるようになったり
そう言ったことに努力してきた事と思う。
それは今までであり、これから先の次世代デザイナーにも必要だろう

そこをあえて「次世代デザイナーの要件」という場合ではどんなスキル要件なのか?今までの自己表現との違いは何か?

私が思うにそれは、「あなたは何者?」という問いにつきる
そのとき「私は、賞賛を浴びることを心の底から願っている人です」くらいの事を平気で言えれば、まぁまぁ良しだと思う。
その下にある思いが「そのときの自分の喜びが人の喜びに繋がっていて、そのときの感動連鎖が欲しい人です」まで言えれば、かなりOKだと思う

「お金儲けがしたい」
「人に感心してもらいたい」
「有名人になりたい」
「良い暮らしがしたい」
というのは、ホンの一瞬の出来事だ。波のごとく人生は移り変わる。

ホンの一瞬の出来事を起こす事を望む人から、感動の連鎖を産み出す表現こそが次世代のデザイナーに求められる要件だと思う。
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by guild_hall | 2010-01-14 16:38 | 次世代デザイナーの要件
2010年 01月 12日

次世代デザイナーの要件 第一回

最近思うところをつぶやいてみる。
決して正しいことを言うつもりはなく、「かもね...」という感じで読んでもらいたい

テクノロジーが発達して、身近になったおかげで
誰でも「プロっぽい仕上がり」が入手可能になった
年賀状のデザイン本も10種類以上並んでいる様子だ。
デザイン本付属のCD-ROMをパソコンに入れて、プリントのコマンドできれいなプリントができあがる。
10年くらい前は、簡易プリント製版のような、インクを使って刷っていたものだ。
それがいまや、パソコンをさわれる技術があれば、多くの人がきれいな年賀状を出すことができる

そうなると、デザイナーと一般の人との差は何だろうか?という問いも生まれてくる。
「仕上がり」とか、そういった中でも「センス」という答えもあるだろう
もし仮にそうだとしたら、それを見分ける「選択眼」が必要になってくる。
選択眼を持たない人が一般の人なら、お金を払う人も一般の人で、そのできあがりに差を見つけられないなら安い価格を選ぶだろう。
結果デザイナーにはお金が入ってこない事になる。

第一回目は、こういうところから始めて、
 どういう資質?
 どういう技術?
 何が今後デザイナーには求められていくのか?
そういったことを、つぶやく予定
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by guild_hall | 2010-01-12 17:38 | 次世代デザイナーの要件
2010年 01月 06日

トイレの新しい使い方

新しい発見をつい先ほどした
トイレというのは、タイムカプセルのような状況転移装置なのではないか?
まぁよくある「顔を洗って目を覚ましてきます」に似た話だ
扉付き個室(いわゆる洋式便座のある個室)限定の話だ

例えばこんな使い方
現在、不景気と言われている
給料が減った、業績が上がらない、いろいろな状況があり、起こっていることも様々である
そう思いながら個室のドアを閉めてみる
問題はドアを開けて出て行くときの気持ちだ。(生理的にすっきりしたという気持ちの話ではない)

ドアを出たときの世界は、
1.今までと同じ不景気の世界
2.今までと違って好景気の世界
どちらを選んで出て行きたいか?
もし1を選ぶなら、後ろ向きに出て行き、2を選ぶなら前向きに出て行こう

不景気と言われるが、誰が言ったか?
新聞の評価?雑誌の批評?どこかのマーケティング調査?
いずれにせよ「不景気」の実態は、どこにもない。
株価が上がろうと下がろうと、株式市況もなにも出来高を伝えているだけで「不景気」とは言っていない
ただ多くの人の「そんな感じ」の同意があるだけだ

小さい頃、駅やデパート、商店街でこんな遊びをした記憶があるだろう
「白いタイルから落ちたら、溶岩に(海に)落ちて死んじゃうからね−」
と言いながら友達や兄弟と遊んだ
後から来た友達も、その遊びに乗ってくれて、商店街を飛びながら行き交いしたものだ
これも同意によるものだ。

今でも変わらない。
「不景気」という同意の下で一喜一憂していることにおいては。

さぁ好景気のドアを開けよう!!
何?自分の会社は売り上げが上がらず、給料はそのままの世界がそこにあるって?
あなたの会社だけです。不景気を言い訳に好景気の準備をしてこなかったのは。
好景気の会社を見てください。
そして言い訳のために不景気の会社を探さないでください

さぁ好景気のトイレのドアを開けよう!!
(まだ不景気にいたくて言い訳をしたい方は、後ろ向きに出て行くことをお勧めします)
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by guild_hall | 2010-01-06 23:40 | 処世術?
2010年 01月 05日

灰汁をすくっているのではない。料理をおいしくさせているだけ−人間中心設計の資格

料理で煮物をするとき灰汁がでる
まぁ、すくわなくても良いのだけれど、私は必ずすくいとる。
おいしくなるし、食べたとき自分も満足で、一緒に食べてくれた人も満足だろう
(いろいろな人が満足だと必ず言うから....)
おいしく食べたいという気持ちの下にある気持ちは、人に喜んでもらいたいがある

某団体で資格認定制度を始めた
従事者・専門家であるということを第三者の団体が認めていることを表現するのにはよいだろう。

ただし、勘違いしたくないのは、
 資格=資格の内容に沿った業務・アウトプットができる
という、「何かができる」わけではないということだ。

特にこの人間中心設計、ヒューマンセンタードデザインといわれる、人が使いやすいことをデザインする分野において、正解はない。
さらに言うなれば、これは技術ではない。
評価専門の資格というのであれば、これは評価基準を設定し、評価方法を決める技術だから資格化は可能だ。
しかしながらその枠組みを超えて、設計ができるように資格化するというのは、難しいだろう。

人としての倫理資格を作ろうというのと同じくらい難しいのではないか?
また、あまりできたとしてもあまり頼りにはならない。
もしその有資格者と会う機会があったとしても、資格を取得したという努力は賞賛するが
その資格で何かができているとは全く思わない

料理で煮物をするとき灰汁がでる
料理検定だと、この灰汁をすくうかどうかについて問われたりするだろう。
私は必ずすくいとる。
おいしく食べたいという気持ちの下には、人に喜んでもらいたい気持ちがある
この気持ちは検定できない、かつ、資格化できない
この気持ちこそが人に喜んでもらえる物を創り出す源だと思う
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by guild_hall | 2010-01-05 13:03 | デザイン