デザインのつぶやき

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2007年 06月 29日

仕事の進め方

今週、縁があって先輩の会社にヘルプのアルバイトを1週間いった
久々の会社員のような生活で、楽しくあわただしい毎日だった

そこで気付いた「仕事の進め方」

一直線に集中して仕事をするまじめな方ばかりの会社であった
(デザイナー集団なのに…)
それが悪いといっているのではないので、ある方についてもうちょっと詳しく説明しよう

その方は朝、会社に来ると簡単にメールのチャックをすませ、黙々と制作作業に取りかかる。
いつトイレに立ったりお茶をしているのかわからない。
それほど黙々と仕事をしているようだ
人と話すこともせず、インターネットサーフィンもせず、なのだが進捗は芳しくない。
どうしてなのかは、不明。
(そのワークに対しての性格的な不向きさ加減もあるかも知れないが…)

人ってそんなに集中できるモノでは無いと僕は思う。
どこかで集中しているように見えても、同じ所をぐるぐるしていたり、錯覚していたことに気付き5分で終わったり。

僕は、大きな長丁場の仕事でもいくつも細かな仕事に区切り、小さな達成感を得られるようにしている。
達成したときにトイレに行ったり、息抜きにコーヒーを飲んだり、おそらく多くの人よりもそういう小さな休憩は多いと思う。
この小さな達成感と小さな休憩こそが、一日中仕事をしていられるこつなのかも知れない。

だってそうすれば、あといくつ小さな仕事を片付ければいいか見えるし、それがどのくらいの時間でできるかも見えてくる。
大きな仕事のまま仕事をしていくと、それがいつ終わるモノなのかわからない
まるで壁の穴から、スイカを食べているようなもので、穴の向こうにはどのくらいの大きさのスイカがあるのかわからないまま食べ続けるなんてできない
手にとって、大玉のスイカなのか小玉のスイカなのかを確認して、それを8等分等小さく切って食べて行かなくちゃ、いつ食べ終わるかもわからない。
小さくすれば、人にもあげられる。

小さな達成感をどうやって作るか。
それが「仕事」という化け物に取り組む本質だと思う。
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by Guild_HALL | 2007-06-29 18:23 | デザインの姿勢
2007年 06月 15日

ポートフォリオと就活

デザイン系の学生の多くは、作品集なるポートフォリオを持って就職活動をする。
そこには学生の課題が写真や文字でカタログ化されている
それを履歴書と一緒に送ったり、面接を受けたりするのだが、たいていの学生はツボを外したところを作ってやってくる。
学生は
「いかにその作品がすばらしいか」を蕩々と熱く説明する。
または、
「こんな事をやりました」を淡々と述べる。語る。

面接官は、何をポートフォリオから見るかというと、
1.器用さ
 きれいにレイアウトされ、見やすいかどうか
2.わかりやすいかどうか
 考え方や新規性が、インパクトあるように伝わるか?

デザイン系で見られるのは大きく分ければこの2つくらいだろう。

1の器用さは、単純に即戦力になるかどうか、使い回しが効くかどうかだし
2のわかりやすさは、デザイナーとしておもしろいモノが出るかどうかだ。

蕩々と熱く語られても、それは学生の範囲でしかなく、一発芸かどうかは、1の器用さを見る目で見ればわかってしまうものだ。
何をやったかを述べられても、毎年その学校から学生が来てればどんなカリキュラムをやってどんなモノを作るかなんてわかっているものだ。

では何をポートフォリオに書けばいいのだろうか?

では、そんな質問をするあなたに聞こう 「何を学んだのですか?」
学んだ事というのは、困ったことやうまくいかなかったとき、どの様に解決して作品に反映させたか、これのことを指すと僕は思う。
うまくいった時なんていうのは、まぐれか全く学んでいないのと同じだ。
(ひょっとしたら、その人は天才で学ぶ事なんてなかったのかも知れないが…)

でも、天才は会社にはいらないな。
組織を作れないから。

学びをうまくポートフォリオに反映させてくれと、僕は熱望する。
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by Guild_HALL | 2007-06-15 02:44 | デザイン
2007年 06月 11日

デザイナーとしての「デザイナーの寿命」

最近、気付いて愕然とした。
デザイナーの寿命ってあったんだと。

正しくは「存在しない」といえる。死ぬまで「自称デザイナー」だ。
ただし、それはあくまでも自称であって、他人から見てどうかという話ではない。

もっとつっこんだ現実的な話をすると、歳とったおじさんに、WEBをはじめとするメディアの仕事を誰が頼むかという話。
著名人の「先生」になってしまえば別だけれども、一般的にはあまり頼みたくないのではないかな?
20代後半から30代前半で、仕事バリバリ任され始めたけれども手が足りなくなって外注に頼もうという若手デザイナーにとって、その仕事を頼みたい相手が40過ぎのおじさんや、50過ぎのおじさんじゃぁ頼みにくいでしょ?
同世代の友人がクライアントになるのは良くあるパターンだけれども、その友人も歳を重ねて管理職に回り現場にはいなくなる。
現場にいなくなれば、今まで回ってきた仕事は回ってこなくなる。
若手にとって扱いにくい歳とったおじさんとは、いくら上司から推薦されてもつきあいたくないでしょう?
そう。社会から相手にされてのデザイナーなんですよね。
自分も歳を重ねれば、相手も歳を重ね、やり方を変えなくちゃいけないんですよね。

いつまでも一匹狼じゃいけないなという反省。
後輩を育てなくちゃなという焦り。
後輩に仕事を任せていく体制づくりや窓口としての役目の重責。
そんなことを考える今日この頃です。
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by Guild_HALL | 2007-06-11 15:37 | デザインの姿勢
2007年 06月 04日

デザインのティーチングとコーチング

最近、コーチングなる言葉があり、そういった書籍がたくさん出ていることを知った。

デザインという行為は、基本的に教えることができないと思う。
教えると言うことは、自分の持っている知識を渡すことであり、それはすでに過去のモノであると思う。
これから起こることは誰にも教えることはできないだろう。
これからのことを創造するデザインという行為は、はたしてそういう視点から考えた場合、教えることができるのだろうか?
やはりできないのではないかと思う。

それならば、専門学校や美術大学で学ぶデザインというモノはないのかと言えば、やはりあるのだ。
それはベーシックなモノになっていくだろうし、デザインをするにあたっての姿勢や、気付くという事自体なのではないだろうかと思う。
気付くことそれ自身は教えることはできないが、気付くことによって、デザインという行為が構築されていくことは何とか伝えることができるような気がする。

つまりデザインできる人として教育するには、教えることから始まるのではなくて、コーチして気付くことができるようなことから始まると僕は考える
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by Guild_HALL | 2007-06-04 09:07 | デザインの姿勢