デザインのつぶやき

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2006年 09月 30日

可能性の可能性

僕は僕の受け持つ授業の中で、生徒の発想する可能性を否定しない。
常識的に考えて不可能なことは当然否定する
(例えば、現在の物理学では不可能なこと...水が300度になる装置とか...は否定しますが)

なぜ否定をしないかというと、「正しいと言う考え方」はどこにもないと思うからだ。
僕が好きな考え方、僕が目指したい考え方はある
同様に世間で一般に好まれる考え方、おおかたの世間一般の人が指示するだろう考え方もあるかもしれない
だからといってそれらと違う考え方は、間違いだとは誰にも言い切れないだろう
(天動説や地動説が物理的に証明できる考え方の種類ではないとしても....)

では僕が、諸手を挙げて賛成するかというとそういうわけではない
発想には生な部分が多く、もっとましな考え方があるからだ
つまり意味を読み取れば、より効率も良く、さらに達成感もある考え方があるからだ。
その考え方は、僕の視点であって、且つ他の人にとっては別の考え方もあるはずだと思う
(だからこそ、そこにディベートする余地もあるのだが、なかなかディベートに至らない。なぜなら、意味を解釈してのディベートではないからだ。お互いのイメージとの差異の意見交換にしか過ぎないのだ)

ちょっとつぶやき方が飛んでしまったが、まぁいいか.......
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by Guild_HALL | 2006-09-30 23:18 | デザイン
2006年 09月 29日

大航海時代......とデザイン

僕はごく普通の義務教育を受け、普通科の高校を卒業した。
当然世界史という物も習った。
いまだにうまく理解できていないのが、世界史の中でのスペインとポルトガルの「過去の国力と現在の国力」
単純に植民地を持っていたからという問題もあるし、植民地を作る前は戦争に打ち勝っていって領土を増やしたという背景もあろう。
そういう国力に支えられながらにして、造船技術、航海術も発達したことだろう

さて、ここからが疑問である。
スペインとポルトガル、もしくはイギリスも含むかもしれないし、同類の国もあるかもしれない。
貿易を栄えさせた事は歴史で習ったわけだが、母国で何を生産して貿易を栄えさせたかは記憶にない。記憶にあるのは植民地から安く仕入れ、他国へ高く売ったり、自国に文化を持ち帰ったことだ。

今の日本とかぶって考えてしまうのは僕だけだろうか?
海外で物を生産し、別の国へ売り、また安く物を母国日本へ輸入し売る。
今日本で高いのは、土地と人件費だ。
商業デザイナーは、売るための販促物関連をデザインするからあぶれることはないと思うが、プロダクトデザイナーはいつまでも彫刻を作っているわけにはいかない。

話は飛ぶが、来年から団塊世代が退職し始める。
どういう額のお金を手にするかわからないけれど、大きな額だろう。
それを支払う会社も大変だ
いや、それよりもそんな大きなお金を手にしたことのない人が増えていくという、かつて武士がもらった退職金のようなことがやってくる
たいていの人は車を買い、家を買い、旅行に出かける。
それら全てをやり尽くす人は少数だろうが、手近なところレジャーブームになるだろう。


やっぱり大航海時代はやってくる。
そこで僕らは何をデザインすべきか、あと数ヶ月以内に答えを出して行動するしかないね。
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by Guild_HALL | 2006-09-29 15:21 | デザイン
2006年 09月 28日

ユーザーモデルって本当にあるのか?

すこぶる調子がいいので、どんどん頭にあることを出してみる

自分の研究(研究については、いつかつぶやこう)が進むにつれ、ふと疑問になってきた
認知科学やユーザビリティを論じる時には必ずと言っていいほど出てくる
「ユーザモデル」...............

人がある行為をするとき、頭の中にある操作手順があって、それを使ってユーザはその行為を実行するという考え方だ。
もしくはあるターゲットとなるユーザの行動パターンをモデルと呼ぶ。
システムを設計する上で非常に便利な考え方だ。

しかし、本当にそんな手順となるモデルがあるのだろうか?
持論では最近そんな物はなくて、都度自分の記憶にある断片を使って、都度操作方法を構築してを行っているのではないかと考えている。
その記憶の断片は、言葉や体の位置関係や色や形、つまり人が見聞きして、注意が払われた物全て、無意識の記憶も含めて使われていると考えている
特に見たり聞いたり、体験のない知らない物は、使えないのだ
類推すらできない

やはり人は忘れる
そのあるはずの「ユーザモデル」すらも忘れる
特に頭で覚えた手順、行為は忘れやすい。


結局、ユーザー観察において見受けられた実験結果である「行為」が、ユーザーモデルと言うのが正しいのではないだろうか?

参考文献
仕事の中の学習:上野直樹 著
状況に埋め込まれた学習:サッチマン
コンピュータと認知を理解する:ウィノグラード
拡張による学習:エンゲストローム
…など。
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by Guild_HALL | 2006-09-28 06:51 | デザインの姿勢
2006年 09月 27日

デザイナーの悪い癖

これは、僕にもあり、またウチの学校の先生もそうであり、また多くのデザイナーと呼ばれる人種もそうであろうと思われる癖を明示したい

それは
「人の話を正しく理解しようとしない」

本を読んでもそう、プレゼンを聞いてもそう。
全く相手の言うことを正しく理解しようとせず、自分の理解していることを当てはめて理解しようとするのである。

つまり人の話を聞いて、勝手にデザイナーは自分の持っている「イメージ」で理解しようとするのだ

僕は良く、H先生に叱られる
「おまえはホントに進歩がないな...」という顔をされる
本を読んで、自分で理解したつもりでも自分の想像で理解をしているからだ。
作者のことなんか、考えてもいないかもしれない
いや考えてはいるのだ
考えているけれど、自分の理解しやすい理解を自分の中で構築してしまうのだ。

それは作者の主張する、「正しい理解」とはいえない


ウチの先生方も同じだ。
やはり良くないね、人の話を聞かないのは.....
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by Guild_HALL | 2006-09-27 01:46 | デザインの姿勢
2006年 09月 25日

続・21世紀デザイナー像

前回、僕は空想・想像先行型デザイナー像に対し、観察・再構築型デザイナーを提案した。
その理由を、今日はつぶやこう

現在、僕のクライアントの多くのメーカーは、生産を海外に持っている。
国内から海外へと移した結果だ。
その状態は、限られた僕のおつきあいしているメーカーだけでなく、多くの日本のメーカーがそうであろう。
さらに私の周りの多くは、生産だけでなく設計の一部も移し始めている。
もう少し詳しくいえば、ソフトウェア開発である。
つまり、国内メーカー製の家電製品、電子機器(多くはAV機器であるが)の企画部分以外は、海外に移管されつつある。
そう、デザインですらもである。

そうしないと、近年の低価格化と商品サイクルはコストに対し、もうけが少ないのである。
(携帯電話の開発メーカの多くは、共同開発するスタイルを取り始めましたね)

海外のデザイナー、欧米ではなく特にアジア圏の工業デザイナーはすばらしい。
うかうかしていられない。
そう、デザインもグローバル化し、国際価格競争にはいるのである。

そのような時代に生き残る方法は、「ローカライズ」だと考える。
つまり、その土地独自のデザインである。
日本に住んでいることを最大メリットとしてデザインしなければならない。
しかも、ただ表層的な「和風」を模してデザインするのではなく、生活に密着したデザインが必要だと考える。

それならば、にわかに日本に来た海外デザイナーがわかった顔をして、デザイン提案する以上のものを提案すればよいのだ。
それが、僕の考える「観察・再構築型デザイナー」である

そう、まずは「観察・再構築型デザイナー」を増やして切磋琢磨していきたい。
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by Guild_HALL | 2006-09-25 09:04 | デザインの姿勢
2006年 09月 24日

21世紀デザイナー像

僕が考える21世紀デザイナーについてつぶやいてみる

一般にデザイナーという存在は、
・デザイナーの頭の中で空想し
・デザインする対象物の理想像、あるべき姿を創造し、
・それはどういった物かと、スケッチやモデルを作って説明し
・検証や実験をしながら、対象物を美しく仕上げて
・ユーザへとデビューしていく
ということをする人だ。

その空想や、創造に独創性、新規性を求められる

僕はそれだけでは駄目なのではないかと考えている

これからは
・デザインされた対象物と人とのインタラクションを観察し、
・そこにおける意味を考察し
・その意味を元に対象物を再構築し、
・その際構築物を実際にデザイナー自らが体験し、検証しながら、対象物を美しく仕上げて
・ユーザへとデビューしていく
ということをする人だ。

今では、ユーザーセンタードデザインや人間中心設計、などと言う言葉も使われているが、それはあくまでもデザイナーや開発技術者視点でしかない。
結局のところ、使う人にとっての現場で行われている意味までは観察されず、操作のながれのみにとどまっているのだ

なぜそれが21世紀型デザイナー像を僕は考えているか?
次回に期待して欲しい。
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by Guild_HALL | 2006-09-24 01:17 | デザインの姿勢
2006年 09月 04日

恋人?結婚相手?妻?奥さん?パートナー?

世間的には、わかりやすいから僕の愛する女性は、奥さんと呼べるし、恋人と呼べる。
しかし僕にとっては人生のパートナーである

いろいろ紆余曲折した結果、そう呼ぶことにした。

愛したり、恋したり、それだけじゃないから。
生きていく上で大切な存在だと考えているから。

生きていく上で大切な存在であること。これが僕にとっては一番大事。

結婚は生活であったり、現実であったり、苦しいことも悲しいことも、うれしいことも楽しいことも、いろいろ含まれている。
だからこそ生活を一緒にするというのは、恋心や愛情を相手にぶつけたり、楽しみを分かち合う存在、苦しみを分かち合う存在だけではないものだ。
いつまでも恋人のような恋心だけではすまないものだ。

だからこそ、生きていくのに大切なのは、愛することであり、恋することであり、お互いがそういった存在であること。
存在・ありかたこそが大事なんだと思う。
それが尊敬・尊重すると言うことなのではないだろうか?
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by Guild_HALL | 2006-09-04 22:48 | 処世術?
2006年 09月 01日

病気から学ぶこと

先日テレビで2週に渡って、女優(?タレント?)の波瀾万丈をテーマに、半生をドラマにしていた番組を見た。

あらすじはこうだ
・妊娠中は気をつけていたにもかかわらず、重度のアレルギーを持ったお子さんが生まれた
・夫からは子育てを助けてもらえず、アレルギーで苦しむ子供と4年間闘った。
・その後、家庭の事情からくるストレスで、ご自身は顔面麻痺
・奇跡的に回復し、ストレスの原因となったいた結婚を解消
・その後再婚し、それもつかの間、夫が椎間板ヘルニアになり、看病の生活が続く
・また奇跡的に回復し、現在に至る

かなり省略したあらすじだから、ドラマ的には伝わらない内容だが、演出されていないだろう部分を抜き出すとこうなる。

奇跡的にいくつかの運が重なり、病気を克服していった
まずは子供、次に自分、そして夫。

僕は「自分だけの力で生きているんじゃないんだ」ということを、再認識した
重い病にかかりながら何とか克服したのも、お医者さんや周りの人々の力添えがあったからだろう。
もちろん克服してやるぞという信念も必要だ
その信念があったからこそ、周りもそのオーラ(?)のような力に動かされたんだと思う

克服するぞという信念と、周りの人々への感謝。
これを常に忘れちゃ行けないなと感じた。
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by Guild_HALL | 2006-09-01 02:11 | 処世術?