デザインのつぶやき

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2017年 01月 03日

It's a SONY 展を見て

It's a SONY 展をようやく見てきた。

本当に色々お世話になったプロダクトばかり。ラジオからウォークマン、携帯CDプレーヤーなどなど。
感慨深いものばかり。
本当にいいものを作ってきた会社だと思うし、デザインも欲しくなるようなポイントをついているように思う。
「そういうの、待ってたんだよ!」という感じだろうか?

最近の新製品の階に来て、「?」。
プログラムが簡単なブロックとか補聴器のような秘書機能デバイスなど。
どこかの映画で見たような機能のデバイス。

この10数年、散々多摩美大の情報デザイン学科で研究してきたようなものを製品として出しちゃった感じ。
早すぎるとも思わないけど、「それって欲しいものなの?」という気持ち。

大学で研究し、ITデバイスの開発に関わり、あれやこれややってきて、
現在はカーテン縫製工場という、センサーも自動化システムもないところで働いていると、距離感が半端なく大きい。
本当に普通の生活には、あまり関係ない。
まぁブルートゥースでさえ、あまり必要としない生活だから対象外なんだろうな。

時間刻みでスケジュールが組まれていれば、リマインドは欲しいかもしれないけど
やはり「うるせーよ」って感情は起こるだろうし、便利なように見えて映画並みのワンウェイストーリーではない日常生活では、どの程度貢献してくれるのだろうか??
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# by Guild_HALL | 2017-01-03 11:17 | プロダクトデザイン
2016年 12月 06日

「野生の思考」

NHKにて「100 de 名著」の番組で、レヴィストロースの「野生の思考」が始まった。
この本は、大学院の授業で教科書に使っていたもので懐かしく思って第一回を見た。

本質的にはアルフレッドアドラーもレヴィストロースも
ナポレオンヒルの「思考は現実化する」もフランクリンコヴィーの「7つの習慣」も
だいたい同じ事を言っているのではないかと思う

その本質というのは、
人は誰でも、物の見方、聞き方にその人独自の「世界観」を持っていて、それを使って生きている。って感じかな。
あまりにも飛躍的すぎて、違っているかもしれないけれどね。

もう一度復習と思って、放映が楽しみだ。
NHKにて「100 de 名著」:レヴィストロース「野生の思考」
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# by Guild_HALL | 2016-12-06 07:40 | デザインの仕組み
2016年 11月 25日

デザインっていったい??

デザイナーは何をデザインしているのか?
これは恩師が退官時に投げかけた問い。
恩師の場合は、自分の軌跡を示し、その事象から説明をしていた。

僕自身が思うに、デザイナーが、「デザインだ」とするモノを、何らかの形で活動した結果のアーティファクト(人工物)をデザインしているのだろう。
当たり前と言えば当たり前だが。
しかしながら、ある人の活動が、また別の人からすると「それはデザイン活動だろう??」と言われる場合もある
そのある人とは経営者や実業家だったり、デザイナーとは言われていない人々だったりする

僕が30代前半に勤めていたデザイン会社では「デザイナーを「文化提案者である」と定義していた
これはこれで的を得ているなと今でも思う
そうなると何が「文化」と言えるのか、新たな疑問も湧く
文化?と言われれば、例えばテレビでは世相・風俗として「80年代の....」として紹介していたりする。
そういう人々のムーブメントを起こしたり、活動を根づかせたり。そのように現れて来るのが文化なのだろうなと思う。
そんな文化提案者からすれば、チラシをレイアウトするくらいではデザインとは呼べないのかもしれない
デザイナーにとっては、いやいや今はそうであっても、ゆくゆくは文化提案者を目指しているのかもしれない

そこまで来て、言いたいことは
「自分の考案したことが優れている」「美的に優れている」などと考えてアーティファクトを作っても、一時的なんじゃないの?
文化とは、社会や他の人々から受け入れられて、使われて、やっと存在するモノで、一個人から愛でられる彫刻でもポスターでもないんじゃないの?って思うんですよ。

そう、どのように利害関係者と関わって、何かを構築して、自分の持っている何かをプラスして、相乗的に効果を高めていくと、結果として文化とか社会・会社になっていくんじゃないかなぁって思うんです。
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# by Guild_HALL | 2016-11-25 03:44 | デザイン
2016年 02月 06日

【アフォーダンス】 導かれているような何か

恩師、曰く
「蛙が飛び跳ねる。
 隙間に向かって。
 その隙間は、どういう理由で体を通り抜ける事が分かるのか?
 脇の壁にぶつからず、蛙はその隙間を跳びはねて通っていく。」

インターフェースを考案するときは、そんなことをいつも思い出す。

蛙は壁にぶつかる恐怖を知っているのだろうか?
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# by Guild_HALL | 2016-02-06 13:38 | デザインの仕組み
2015年 03月 12日

恩師の退職にあたっての情報デザインアンカー1

今年の春、多摩美術大学の情報デザインを創設した恩師が退官する。
めでたくもあり、さびしくもあり。

2006年に修士課程を卒業してからいろいろ考えたり、実践してみたり。
それらをこの機会にアンカーを打ってみる。

いまや多くの大学に情報デザイン学科が作られているが、その恩師が「情報デザイン」という学問を創設したきっかけという物にも記憶を頼りにアンカーを打ちたい

それはその恩師がまだデザイン事務所に勤めていて、コピー機のデザインをしていたときのこと。
スイッチ周りとか、筐体とかそれにまつわるデザインだ。
そしてコピーをとっていたその時、「なぜコピーを取り終わったと解るんだろう」と言うことに気づいた
つまり、箱だとかスイッチだとか使いやすさだとか審美性だとか、そういった物は多くのデザイナーがデザインするのだけれど、気づくとか分かるとかのデザインをするデザイナーはいないんじゃないかと。
それで恩師は退職し、アメリカへ渡り学び直し、帰国後多摩美大にて「情報デザイン学科」を創設した。

それ故、多くの人が概念として持つ情報デザインとは違う。
ーーー多くの人が概念として持つ情報デザインとは、インフォメーションテクノロジー(IT)の分野における表現や伝達方法を考案すること。

僕自身、修士課程に入り直したのも「概念:情報デザイン」の世界に浸かっていて、これの次のデザインを探さないといけないと感じていたから。
実のところ、卒業時はそれほど「これだ!」という感じもなく卒業してしまったのが本当のところ。
しかし、現在「これだったんだ」と言うことはわかる。

なぜならこれこそが人生であり、意図しないうちにデザインしていて、幸せや不幸を感じているからだ。

では、次回以降これに触れていこう。
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# by Guild_HALL | 2015-03-12 22:52 | 情報デザイン・アンカー
2014年 06月 10日

時代で変化する表現

たまたま見つけたB5サイズの映画のチラシ。
初公開(1970年)してからのリバイバル上映(1974年)されたときのモノと近年デジタルリマスターされた公開のモノ(2011年)。
どちらが良いというわけではなく、古典映画の紹介なのか(多くの人が内容を知っているだろうと言う想定)と以前話題だった映画を見損なった人のための紹介なのかの表現の違いだろう。

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印刷技術も写真の切り抜き技術も全く違うので、どちらがきれい、デザイン的に優れていると論じることはできない。
また1974年モノの裏面は、フォーマットとして「こんな感じ」になってしまっているのは否めない。


好みも分かれると思うので、資料としてUp。
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# by guild_hall | 2014-06-10 16:20 | デザイン
2014年 01月 30日

頭いい人と悪い人

なんか最近、「頭いい人」「頭悪い人」という言葉を聞く機会が多い
組織を持った人と出会う機会が多いせいかもしれない

デザイナーって大体、会社にいても一匹狼だから、あまりその単語に出会う機会は少ないかもしれない。
もし出会ったとしても使われ方の意味は「要領が悪い」というスキルに対しての、「効果度合い」について言われる方が多いように思う
たとえば、「なんであいつは、あのやり方に固執するんだろう?頭悪いよな?」
とか
「あの人のデザインってスマートに短時間で仕上げるよね?」
という風にだ。

僕が最近よく聞く意味の使われ方では
「生きる」「生きていく」と言う事・行動への「センス」「問題意識」があるかないかを区別する場合が多いように思う。
つまり言語化されていない自分の内に秘めた「自分ルール」に対して『行動の指針』があるかどうか?だ。
ない場合は常に「不平」「不満」が「文句」として口から出てくる。
そして行動は起こさない
もし自分の内に『行動の指針』があれば「やる」「やってみる」「行動の最中だ」「結論はまだ先」「他にもやり方があるかも」と言った言葉が出てくると思う
こういう言葉を多く使う人ほど「頭がいい人」と言われている気がする
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# by guild_hall | 2014-01-30 17:05 | デザインの姿勢
2013年 11月 25日

グラフィックデザイナーとプロダクトデザイナー

はたと気づいた。
グラフィックデザイナーとプロダクトデザイナーの違い。

多くの場合(絶対ではなく、多くの場合)、
・グラフィックデザイナーは、その人ひとりで発案、表現された物がクライアントに届く。
・プロダクトデザイナー(建築デザイナーもそうだけど)、その人が発案しても多くの人が関わって修正やら追加やら、熟成されて、市場に並んで、買われた時初めてクライアント(消費者・ユーザー)に届く。

グラフィックデザイナー(の多く)は、奇抜なアイデア、特異なアイデア、が出せれば出せるほど「個性」として扱われやすい世界だなぁと思う。全体よりも「個」が大事に思う。

プロダクトデザイナー(の多く)は、形態の美しさももちろんのこと、販売、生産に関わる様々な要素とのすりあわせが必要で、個よりもプロジェクト「全体」への影響を考えながら行動することが多いように思う。


「だから?」といってなんてことはない、ただのつぶやきでした。
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# by guild_hall | 2013-11-25 11:42 | デザイン
2013年 10月 21日

PDCAサイクルの秘密

ウィキペディアによると
Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4 段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する。事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ。
とある。

うまくいったり、うまくいかなかったりする様だ(まぁ当然か?)

僕が思うに、今まで経験したことない様なことにチャレンジする場合は、うまくいきそうな気がする仕組み。
すでに内容は違っても、営業をしたり、製品開発するときにはあまり効果的ではない様な気がする。

なぜなら、プランを立てるとき既に、いつもの思考でプランするから。
効率を上げたい人は効率が上がる様に、費用をかけたくない人は費用をかけない様に、慎重な人はチェックを多くする様にプランするだろう。
それがうまくいく思考ならば良いけれど、そうではない場合やはりうまくいかない。

何が言いたいかというと、同じ枠組みでプランをいくら変え、行動し、チェックしたところでそれほど効果は望めないんじゃないか?と思う

じゃぁどうすればいいのさ?と問われれば、プランを立てる人を変える、行動する人を変えるくらいがいいかもしれない。課長がプラン立てていたならスタッフがプランを立てて課長が行動する。かなりハラハラすることになると思うけれど、今までとは違う結果が出るのではないかな?
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# by guild_hall | 2013-10-21 13:23 | デザインの仕組み
2013年 09月 19日

思い込みを外す--見て感じている物は全て思い込みである


久々の投稿。

「思い込みを外す--見て感じている物は全て思い込みである」
今日のテーマは真実ではなく、そういう視点もあるという一石だと思って欲しい。
(いつもそうなんだけどね)

さてそう思ったきっかけは、Facebookの友人。
以前は、メッセージ送ってしばらくすると帰ってくる。
一週間とか1ヶ月とか、そんなに頻繁でない人は時間がかかるというのも致し方ない。

ずいぶん長いこと返事がないなと思って、連絡を取ってみたら他界していた。
その友人はBotを使っていたわけではないから、つぶやきめいたことが投稿されたわけではない。単純に亡くなっていて投稿していなかっただけ。

でも友人としての登録は当然ながら残っているから「生きている」と思ってしまう。
このデジタルの世界は触れることで何かを確認する事はできない
デザインという物も思い込みの塊でできていて、あたかも予定された調和、マーケティング調査によってデータ化されたものであっても、そのデザインされた物は受け入れられるとは限らない。
このことは理屈では「そりゃあそうだろ」と思っていても、自分がデザインした物が拒絶された感覚があったときは、へこむ。
人の責任にしたくなる。

状況は変わる。
「あのとき、こう決めたじゃないか」と言ってもそれは「あのときここにドジョウがいたじゃないか」と言ってるのと同じである

じゃぁどうしようか?
この一つの質問を時間かけずに持てることが、良い世界を作る第一歩に思う。

postscript;
フェイスブックの友人は、今でも友人として登録してます。
理由は簡単。僕が友人だと思っていて、生死に関わらず関われると思っているから。
思いで話したり、こうしてブログに書いてみたりしてその友人と関わっているのです。
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# by guild_hall | 2013-09-19 14:39 | デザイン